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プロジェクトX 農業機械の開発にかける男たち 激闘重粘土壌に挑め 南西諸島赤土ばれいしょ(じゃがいも)の土を落とせ 3 完結編 平成15年度 |
■乾燥機の改良 | ||||
昨年度,廃品利用で作った乾燥機は見事に活躍した。しかし,廃ビニルを使っていたために見栄えが悪かった。そこで,黒木は夏の間に作り直すことにした。今回は,コンパネをふんだんに使い,見栄え良く仕上げた。2段積むと480kg,3段積むと720kgのいもを乾燥させることが可能な形にした。分解も可能で,使わない時期は小さくなり倉庫の隅に置いて,邪魔にならないように工夫がなされていた。 廃品利用の機械から,見栄えも使用感も数段良くなっていた。 | ||||
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■長野での試験 | ||
徳之島では雨が少なく,掘ったいもに土が付かなかった。「これでは,いもを送っても試験にならない」黒木は一人天を仰ぎ見た。次の日,待ちに待った雨が降った。泥だらけになりながら,黒木はいもを掘った。いもには,土がたくさん付いていた。 火曜日に徳之島から発送した。しかし次週の月曜日になっても長野にいもは到着しなかった。「どうなっているんだ」滝沢はやきもきした。長野は寒い,いもが凍って痛んでいる様子が脳裏にうかんだ。 滝沢は,いもがどうしても必要だった。「もう一度いもを送ってくれ」黒木に電話した。その日の夕方になり,いもはやっと本社に到着した。長かった。「送られてきたいもが心配だ,本当に試験は出来るのか」滝沢と湯原は祈るような気持ちで箱を開けた。黒木が掘って送ったいもは,大丈夫だった。これで試験ができる。 |
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試験のために機械に何度もかけたいもは,傷だらけだった。会社のみんなに分け,余りのいもを,滝沢は家に持って帰った。家族が喜んで食べる姿を見ると幸せだった。そんな姿を見ながら,「また,家族と別れて暮らさなければならないな」。滝沢は,家族に聞こえないようにつぶやいた。 |
■新聞の取材 |
ある日,黒木に大島新聞の記者から電話がかかってきた。赤土ばれいしょ調製機のことを取材したいとの申し入れだった。取材OKの返事をすると,記者はすぐにやってきた。 これまでの開発のこと,今年度の計画,試作機のことを話すと写真を撮って記者は帰っていった。記事が新聞に載って,みんなに機械のことを知ってもらえることは,うれしいことだった。 次の日,早くも新聞に大きく取り上げられていた。記事は「赤土ばれいしょ調製機」を開発と載っており,内容を読むと機械は既に完成したことになっていた。3人に大きなプレッシャーがかかった。
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■最終年度機械開発開始 | ||||
2月初旬,和田と滝沢が徳之島に来た。初めの1週間は重点的に土落し部の改良を行った。 その後,新規に作成したフレコンバックへのいも投入の衝撃低減のための改良を行った。 昨年度3人が考えた秘策は,土を落とした後のいもを20kgのミニコンテナに収納するのではなく,500kg入りのフレコンバックに投入することだった。 ある日,バレイショ生産者が畑で,いもをミニコンテナからフレコンバックに詰め直して出荷している姿を黒木は見た。そのとき黒木は思った。「調製機も最後をミニコンテナから,フレコンバック仕様にすればきっと生産者は助かる!」 |
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徳之島ではいもの出荷は,紙袋だったが,選果場や,生産農家の意見を聞き,「これからは,フレコンバックでの出荷が主流になる」と3人は確信した。 しかし,そこには大きな問題があった。フレコンバックにいもを入れるためには,高いところからいもをバックの中に落とす必要があった。しかし,高いところからいもを落とすと,傷が付いて黒くなった。いもをバッグの中に傷つけずに落とし込むにはどうしたらいいのか。 バッグを傾斜させ落とし込む方法を試したが、最初はいもに傷は付かないが,途中までいもが入ると同じ場所にいもが,落ち傷だらけになった。いもの衝撃を和らげるために、砂を詰めた袋や、ウレタン等の素材を試した。「これではだめだ」滝沢はつぶやいた。バック自体を持ち上げて,傾斜させる方法では限界があった。 |
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開発が難航するなか,滝沢は新しい部品の開発のために,徳之島から本社工場に帰らなければならなかった。徳之島から送ったタンカンを,子供達と一緒に食べるのを楽しみにしていた。家に帰ってみるとタンカンは,余りのおいしさにほとんど残っていなかった。 妻からは子供がインフルエンザにかかって大変だったこと,例年もまして雪が多く雪下ろしが大変だったことなどを聞いた。 子供達は,久しぶりに帰ってきたお父さんの黒く日焼けした顔をみて,誇らしく思った。 |
■和田の心の葛藤 | ||||
全員揃ったかに見えたが,そこには和田の姿がなかった。和田は定年退職してから嘱託の形で徳之島に来ていた。定年後,仕事がないときの楽しみは船だった。全長10mの漁船を購入し,エンジンを100馬力から200馬力に積み替え,魚群探知機や無線を備えた本格的な船だった。装備の改造にかけた資金はすごかったが,魚は釣れなかった。釣れないたびに,船が悪いのではないかと思い,色々な場所を改造した。改造は得意だった。 滝沢は,新規部品が完成したので,次の徳之島入りの日程を伝えるために,帰っていた和田に電話した。「船の改造があるから,徳之島には行けないな。」和田は素っ気なく滝沢に言った。機械開発の鬼とは思えない言葉に,若い3人は落胆した。 和田はこの仕事を最後に,機械開発から退こうと心に決めていた。最後の開発に失敗は許されなかった。いつも先頭に立って若い開発者を先導してきた和田であったが,和田の胸の中には複雑な思いがあった。退職した自分が,このまま開発に携わっていいのだろうか?しかし今やめれば,機械の完成を見ることができない。 「機械開発の技術と心は,若い3人に全て伝えた。開発の、最後は3人に任せよう。」,「俺がいなくても立派な機械を作れ」それが和田の教えだった。そんなことを和田が考えているとは夢にも思わず,土曜日の仕事を終え,ナイター闘牛を楽しむ滝沢,湯原,黒木だった。 |
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■最終開発 | ||||
さまざまな方法を試してみたが、どれもうまくいかなかった。滝沢は,「あと1回試してみて駄目だったら、もうやめよう」そう決心した。 最後に試したのはバック自体を傾斜させるのではなく,傾斜した板を下から当てる方法だった。 しかし、神は滝沢を見放さなかった。傾斜板も見事に動き,いもにも傷は付かなかった。 いもに傷が付かないことを確認して,滝沢と黒木は喜んだ。 しかし,新たな問題に気付いた。500kgのフレコンバックを動かすことが出来ない。 試験場には,天井クレーンやフォークリフトがあり500kgのバックを動かすことが出来る。一般のバレイショ生産者でこのような装備を持っている者は少ない。バックを動かして,もう1袋は投入したいと思った。今年もその日から、男達の不眠不休の戦いが始まった。来る日も来る日もいもを掘り,試験を繰り返した。いもを土落し機に流すたび粉塵が起こり,男たちは埃りまみれになった。風呂に入っている時間などなかった。汚れた手で,おにぎりを食べた。 1週間が経った,解決策は見つからないように思えた。疲れ切った顔で機械を眺めていた。黒木は,はっとした。フレコンバックを動かさず,吊っている装着部を外して,ラインを組み換えることで,もう1袋処理できることに気が付いた。装着部の方向を180度回転させるだけで良かった。簡単な解答だった。設計した滝沢も,初めから見ていた黒木も先入観に取り付かれ,発想の転換に多くの時間を費やした。フレコンバック投入方式を採用した赤土バレイショ調製機誕生の瞬間だった。 |
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■沖永良部現地試験 | ||||||
沖永良部の土でも機械の性能試験を行い、現地適応性を調査するためだった。トラックには、調製機、乾燥機が積み込まれていた。 沖永良部では、農業改良普及センターの江口が対応した。忙しい江口も作業を手伝った。天気もよく半日でのいもをミニコンテナに収納した。 掘取りには,湯原が開発を担当している堀取り機を使用した。これまでの掘り取り機とは,全く違ったものだった。掘った後を鎮圧し、草も巻き込む機構も装備していた。試作機にもかかわらず,欲しいと言う農家が多かった。この掘り取り機を使用したことで作業は楽に進んだ。 |
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湯原は25kgあるミニコンテナを次々と持ち上げ投入した。 信じられ無いことが起こった。作業はハイペースで進み,1時間400kgの処理能力を大きく上回る2tを処理した。しかし選別コンベア,投入コンベアにいもが詰まった。想定していない量のいもが流れたために起こった不具合だった。 現場で試験を行うと想定していない事態が起こる。「この問題はすぐ解決できる,しかし機械が発売になる前に気づいて良かった」滝沢はそう思った。 沖永良部普及センターの江口は忙しい中,何度も機械を見に来た。黒木はうれしかった。機械が高性能であっても,現場の人間に支持されなければ,機械は売れないことがわかっていた。江口の機械に対する指摘はありがたかった。 |
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■営業の工藤 | ||||
沖永良部の試験では,工藤も忙しい営業の合間を縫って,試験を手伝った。 「来年から発売になれば開発の手を放れ,この機械は営業の管轄になる。」それまでに機械の特性,セールスポイント,問題を把握しておく必要があった。 そのために試作機を持って、じゃがいもの生産者を渡り歩いた。 「畑で土を落とすことが出来たらいいのにね。家にいもを持って帰って機械にかけるのはめんどくさいよ。」 どこでもそう言われた。工藤はくじけなかった。今より楽に作業をすることが出来る。自分の直感を信じた。きっとこの機械が認知される時が来る。そう思った。 |
■実演会の日 | ||||
実演会当日,ケーブルテレビ,新聞社2社も取材にきた。当日20人以上の参加者が集まった。
実演会の時に色々なトラブルが起こることが多いが,今回は順調に進んだ。土が落ちたいもは,フレコンバックの中に傷付くことなく収納された。 色々な質問がある中,1人の生産者が言った。「もう少し使いやすいように改良しないといかんな。」「もっと生産農家のことを勉強しなさい」お叱りの言葉だった。しかし,その生産者の次の言葉に会場はどよめいた。「俺はこの機械が欲しいから言っているんだ。この機械を買うから,売ってくれ。」うれしかった。 機械が本当に欲しい人ほど,色々な質問をしてくる。その質問の中には,開発者にとって辛い言葉もある。しかし,その言葉が開発者と機械を育てる原動力となることは確かだった。 実演会も無事終わり,4人は誰もいなくなった会場を片付け,自分たちの作った機械を眺めた。外に出て,シャッターを閉めた。シャッターは,轟音とともに閉まり,機械は見えなくなった。和田の目には,うっすらと涙が浮かんでいた。みんな泣いた。赤土バレイショ調製機の開発,3年間はこうして幕を閉じた。 その日の夜,湯原は久しぶりに黒糖焼酎を飲んだ。機械開発の成功を願い,大好きな酒を今まで断っていたのだ。黒糖焼酎はいつもにましてうまかった。滝沢,黒木,和田も3年間の出来事や,この機械により今までの辛い土落し作業を劇的に変化させることを願いながら4人で夜遅くまで酒を飲んだ。 |
■戦いの終わり | |||
もう来年からは徳之島に来ることもないと,飛行機の中から小さくなる徳之島を見ながら滝沢,湯原,和田は思った。和田と滝沢にとって,冬の間徳之島で過ごした6年間が一瞬の出来事のように思い出された。辛かった開発も終わりこれからは家族と過ごせると思った。今は一刻も早く家族の顔が見たかった。 しかし,新しい農業機械の開発の依頼があれば,世界中どこでも行く心の準備は出来ていた。生産者に愛される機械を作るために,松山株式会社に入ったのだから。 |
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販売編を製作中です。ご期待ください。