さつまいもの栽培
中南米の熱帯アメリカが原産地といわれています。ペルー遺跡から、紀元前1000年から紀元前1300年ごろの甘藷の乾燥した根や葉、花、などを描いた綿布、甘藷を形どった土器などが発見されており、熱帯アメリカで栽培され、ていたことが明らかになっています。
 種子島の島主種子島久基(ひさもと)は、1698年琉球の尚貞王(しょうていおう)から甘藷を一篭贈られ、西之表の下石寺の休左衛門に試作させたといいます。
 西之表市下石寺には「日本甘藷栽培初地之碑」が建てられています。
 1705年に山川の船乗り前田利右衛門が琉球から甘藷を山川にもち帰り、その栽培に成功すると、近くの農民にも苗をわけ与えてやりました。
その甘藷は、山川から近くの村へと広がりやがては薩摩(鹿児島)全地域で栽培されるようになったといいます。
鹿児島県の作型


12月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
ハウス 定植                     収穫                
トンネル     定植 定植                 収穫            
べたがけ             定植             収穫 収穫        
マルチ                 定植                 収穫 収穫

 


生育と掘り取り

苗床のさつまいも 生育しているさつまいも 掘り取りです


収穫・掘り取りの仕方



イモの葉を粉々にします スキで掘り起こして収穫です


 
収穫作業


手作業で根や茎を取ります 1つ1つ丁寧に収穫します
軽トラックに積んで運びます


出荷


畑でのさつまいも ヒゲ根もきれいに取りピカピカです



焼き芋



さつまいもを並べます 隙間無く並んださつまいも



オーブンに入れます くるくる回りながら炭で焼かれます



紫のさつまいも やきいもできあがり



山川の徳光神社(前田利右衛門いもの神様)



山川の徳光神社
甘藷は、火山灰のやせ地でも栽培でき、しかも台風にも強く、人々の命を守ってくれる作物として大事にされました。山川の人々は、明治30年、前田利右衛門の恩徳をたたえるために「徳光神社」を建て、また、彼のことを「甘藷翁(からいもおんじょ)」とよび、広く尊崇されています。

さつまいもは,なぜさつまいもと言うなまえがついたんですか?

薩摩の国でつくられるようになったさつまいもを,全国に広めたのは青木昆陽です。江戸の商家に生まれた昆陽は,ききんに強い作物としてさつまいもの栽培を,幕府にすすめました。このとき,薩摩でつくられているいもなので「さつまいも」として,しょうかいしたのです。
このときの将軍は徳川吉宗で,吉宗もさつまいもを積極的にすすめ,昆陽はやがて大名と並ぶ地位にまで出世しました。
ところで,さつまいもは昔から多くの人に親しまれた食べ物なので,いろいろな呼び名があります。たとえば,からいも,とういも,琉球いも,べんりいも,孝行いもなどです。


さつまいもは,どの時代にできたんですか

 さつまいものふるさと(原産地)は,メキシコからペルーにかけての中南米と考えられています。1万年前のペルーのいせきからさつまいもの根が発見されたこともあります。  15世紀末に,コロンブスがアメリカ大陸からさつまいもをおみやげとして,スペインの女王にもって帰りました。それが,ヨーロッパから中国まで広まりました。
 日本へさつまいもが入ってきたのは,記録の上では1615年にイギリス人ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)が平戸(長崎県)に持ちこんだものです。しかし,その数年前に琉球(現在の沖縄県)から薩摩に入ったと言われています。
 現在の山川町の貧しい農家に生まれた前田利右衛門は,船乗りになり1705年に,琉球にわたりさつまいもを数こ持って帰って,自分の畑にうえたところ,とてもよかったので,またたくまに鹿児島全域にひろがりました。